ほう太パパさんとスズコさんのブログは、はてなブログ会員になる前からファンです。
ほう太パパさんが5/25に書かれた「次々と新たな役割を見出す女性と、次々とタスクを増やすだけの男性」の記事を読んで、ふたつ気付いたことがあります。
1、欲張りタイプと割り切りタイプの2種類の人間が存在する
これは、以前から薄々気付いていたのですが、私は圧倒的に前者。なんでも完璧にやりたい欲張りさんでした。スズコさんもたぶん、前者。親として、もっといろいろしたけれど、できない。親になる前の自分のような時間ももっととりたいけれど、できない。そんな感じなんじゃないかなと。ほう太パパさんは後者。できることと、できないことをテキパキと仕分け、今の自分が親としてできることはここまで。親でなかった自分の時間もそこそこ確保して満足できる。私の夫もたぶん、ほう太パパさんタイプ。どちらかと言えば、男性の方が多い気がしますが、女性もそういう風に割り切れる人も知っている。性差か個人差か。
そう考えた時、「女脳」「男脳」の言葉が思い浮かびました。男の人でも欲張りタイプは存在するし、女の人でも割り切りタイプは多い。
どちらかというと、女性はこういう人が多いというならば、性差かなと思いました。
2、社会から求められる役割が違う!
保育所から幼稚園へ移ってから、特に感じること…
母親の役割というものは…と常に求められること。
例えば、餅つきの行事ひとつをとっても、幼稚園からいただいた文書には
「お父さんはお餅つきのつき手」「お母さんはお餅を蒸したり丸めたり」と書いていて、残念な気持ちになります。
お父さんも蒸したり丸めたりできますし、お母さんも餅をつこうと思えばつけます。
子どもの面談から行事ごとに参加するのは当然、母親。父親が参加したら、えらいわねー!になる。
世間はまだまだ、保護者(親)の責任=母親の責任
保護者としての役割が十分に果たせなくても、父親は非難されない。
そして、母親自身も、自分が保護者としての役割を十分に果たせなかったら、自分を責める。
もちろん、父親も母親以上に保護者の役目を果たしている人もいる。
でも、保護者の役割を果たすときの気構えが全然違うと感じる。
女性は必至で理想的な保護者を目指し、男性は保護者としてここまでやれば十分というスタイル。
この違いで、心が疲れるか疲れないかがあると思う。
だから、例え、99パーセントの家事や育児を男性にしてもらっても、(心が)疲れるのかもしれない。
蛇足だけれど
新川和江さんの「わたしを束ねないで」という詩。
子どもの時に読んだお気に入りの詩を思い出しました。
6/15少し編集しました。